カミグセ「SとNの間の香り」 作・演出 つくにうらら(カミグセ)

2016 12.22 thu - 25 sun @space EDGE

公演の詳細はhttp://www.kamiguse.comより


クラウドファンディング実施中!

「カミグセ『SとNの間の香り』再演製作支援プロジェクト」



まゆげのびたよ

女子力を家から持ってくるの忘れた。

いや、そもそも家にあるのかさえ微妙ですが、だとしたら私の女子力どこいったんだろう、っていうか持ってたっけ、極論を言えば女子力とは一体何だ。

 

眉毛は明日の朝、忘れなければ短くします。

短くしすぎると、途端にヤンキーみたいになる現象、あれはなんと名付けようか。

中学の頃、暇で眉毛を抜きすぎたら、中学の部活(茶道部)の顧問に、

「まあつくにさん、眉毛どうしたの!」

って言われて、流石に暇で眉毛を抜いたとは言えず、少し悪びれたフリをしたりしなかったり。

 

 

今日は昼で教習が終わったので、少し自転車に乗りました。

遠くに見える山には雲間から光が何本も差していて、綺麗だ、と思っていたら蜂(多分)と正面衝突した。

私は平気だけど、その蜂(多分)のことが心配である、というのも私ごときにぶつかってたらこの先とても不安である、蜂(多分)として。

 

で、その山を見ながら考えてたこと。

 

「どこにも行けないけど、どこかへ行きたい」

というのと、

「どこにだって行けるけど、どこへ行っても変わらない」

について。

 

前者は希望がある。

後者は希望がない。

前者には悪い意味で裏切られる可能性がある。

後者には良い意味で裏切られる可能性がある。

 

ここにいること、という連鎖から抜け出すのは容易ではない。

ここにいること、から抜け出した先の保証はない。

 

連鎖から脱出することと、連鎖から強制的に排斥されること、同じ連鎖に身を置いても、その違いは大きい。

私はきっと、日常の連鎖に、依存している。

 

しかし、もうしばらく「日常」をどこまでおしなべて図るべきか、ということにも悩んでいて。

私は、起き、朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べ、排泄し、寝る、という安定したサイクルが確立されていれば、その間に何が挿入されても、結局長期スパンで眺めた時にそれは「日常」という処理のされ方になってしまう。

 

では非日常とは一体なんなのか。

作られた非日常は、自然発生したそれよりもはるかに弱い。

そしてそれは、一時の非日常を経て回復された日常において、どこまでの効力を発揮するのか。

 

 

というところで、私の眠気は限界に達しました。

 

眠い。

 

眉毛。

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